2014年10月11日土曜日

外国人住民の「希望」を聴くワークショップ(第3回―フィリピン編)報告



 10月11日(土)、東京都板橋区・大山のAPFS事務所で、このほど在留特別許可を受けて日本で生活しているフィリピン人女性を囲むワークショップが行われた。

 約10人の参加者らが集まり、現在40歳代の女性とその夫(建設作業員)、現在10代の二人の子どもの苦難に満ちた20年の闘いについて傾聴した。

 女性は夫と1993年に来日した。夫は約1年、女性は半年、入管に収容された。2010年7月に在留特別許可を受けた。今後は、更新を続ける。いまは、未来と希望がある。

 摘発からの4年3カ月は試練の連続だった。子どもは、児童相談所に預けられたが、どこの相談所なのか、入管は場所も教えてくれない。女性の父が来日し、女性に10年以上ぶりに会ったが、ガラス越しの面会だった。

 入管の収容所は男女別々なので、夫婦も会えない。情報が少なすぎて、様々な困難があった。

 収容から解放され、首都圏に住み、子どもは小学校に通った。いじめられた。長女はそれほどでもなかったが、長男が苦しんだ。日本語しか話せないのに、日本人の子どもたちから仲間外れにされた。名前が長いので外国人だと知られ、ランドセルが泥だらけになっていたこともあるという。

 あるとき、夫が長男に、「(遊びの仲間に)入れて」と言ってみたら?と提案した時から長男は、だんだん日本に溶け込めるようになった。

 女性は、子どもたちに日本風の「キャラ弁」を毎日、手作りして、溶け込む話題づくりを提供するようにした。

 参加者から、質問が多く飛んだ。「子どもたちのアイデンティティーは、フィリピンですか、日本ですか?」との問いに、女性は、「フィリピンにも連れていくことはありますが、日本です」。ほかの参加者からは、「食べ物はどんなものですか?」との質問があった。家庭では、日本食だという。冬には鍋料理。

 女性の「希望」。それは、日本に住み続けることだという。夫は、子どもたちの学費のために、毎日、休まず、建設現場で働いている。長女は大学生で、英語を専攻している。イタリア語も好きだという。2020年の東京オリンピックで、何らかの仕事ができるかもしれない。東南アジアからの賓客を迎える仕事とか。

 4年3カ月にわたる苦難を乗り越えた家族。東京オリンピックまであと5年とちょっとだ。