2014年8月26日火曜日

地方議員さんが関心を示してくれています!


おはようございます。APFS加藤丈太郎です。

連日、陳情や陳情趣旨の説明に走り回っております。これまでに、22の地方議会への陳情を完了しました。

これまでで、東京都、荒川区、板橋区、目黒区、品川区、港区、大田区、中央区、杉並区、中野区、新宿区、江東区、川口市、戸田市、富士見市、三郷市、市原市、船橋市、松戸市、愛川町、五霞町の地方議会に陳情を完了しました。

8月18日(月)にNHKニュース7で「地方議会への陳情プロジェクト」が取り上げられました。全国で放送された影響力は大きく、一週間の間に昔の知り合 いから沢山連絡をもらいました。視聴者の方の中には、「うちの車を自由に使って欲しい」というありがたいお申し出をくださる方もいました。

また、本プロジェクトに関心を示してくださる地方議員さんが続々と出ています。今も千葉県市原市の地方議員さんに陳情趣旨を説明するための電車中でこのレポートを書いています。 東京都内の地方議員さん向けの説明会をすることも決まりました。

地方議会によっては、趣旨説明が陳情のプロセスの中に組み込まれている議会もあります。目黒区では議長に直接陳情趣旨を説明する機会が与えられます。神奈川県愛甲郡愛川町では、議会で説明をすることが出来ます。厚木からバスに40分乗って出向くことになりそうです。
というわけで、陳情を出しただけで終わりではなく、度々地方議会を訪れることになりそうです。

「地方議会への陳情プロジェクト」は、
クラウドファンディングサイト「READY FOR?」に参加しています。

皆さんの支援が引き続き必要です。
購入予約、facebookでのシェア、メールでの紹介等々、皆さまのますますのご支援をよろしくお願いします。
https://readyfor.jp/projects/livingtogether

2014年8月19日火曜日

ここまで10の地方議会に陳情を出しました!

こんにちは。APFS加藤丈太郎です。
昨日(8/18 月曜)より、「希望への道プロジェクト―地方議会への一斉陳情」が始まりました。約40の地方議会に非正規滞在外国人住民の正規化に関する陳情を提出します。

昨晩(8/18 月曜)、NHK総合「首都圏ネットワーク」「ニュース7」「NEWS WEB」ご覧いただいたでしょうか。議会事務局の方にも「昨日、ニュース見ました」と声をかけていただき、NHKニュースで取り上げられることの効果を実感した次第です。

今日(8/19 火曜)は、市原市議会、船橋市議会、目黒区議会、港区議会、大田区議会、品川区議会に陳情を提出しました。市原市議会、船橋市議会へは、実際にその市に居住している非正規滞在外国人住民も同行しました。区への陳情はボランティアスタッフに手伝ってもらいました。私一人の力ではなく、色々な方の協力をいただきながらプロジェクトは展開しています。

提出〆切の関係で、昨日(8/18 月曜)の本格スタート前に既に陳情を提出をしている、荒川区議会、板橋区議会、戸田市議会、愛川町議会と合わせ、ここまでで10の地方議会に陳情を提出しています。ハイペースで進めています。とはいってもあとまだ30近く残っています。

陳情後、9月に地方議会議長に陳情趣旨を説明するアポイントなども取れ始めています。1度陳情に行けばそれで終わりではなく、度々出かけていく必要があります。当然、その度に交通費がかかるわけで、皆さんのご支援が本当に必要です。

READY FOR?(クラウドファンディング)サイトを通じて、プロジェクトをご支援いただくことができます。
どうかご支援をよろしくお願いいたします。

READY FOR?(クラウドファンディング)のプロジェクトページ是非一度ご覧ください。
https://readyfor.jp/projects/livingtogether

                                                 (市原市への陳情の様子)

2014年8月4日月曜日

スラジュさん奥様の意見陳述

以下は、先日のスラジュさん事件国賠訴訟の控訴審第一回期日で、スラジュさんの奥様が裁判官、傍聴者の前で読み上げた意見陳述の内容です(奥様のご了解を得て掲載しております)。奥様のスラジュさんへの愛情・悲しみ・喪失感が痛いほど伝わる内容です。

*バリーとはスラジュさんの呼び名です



意見陳述書

平成26730

スラジュ妻

 

 私の夫を、バリーを、かえして下さい。

それができないのであれば、法務省は正式に謝罪してください。 

バリーにした危険な行為を反省して下さい。

 心の支えであった夫、バリーを失ってから、4年にも亘る私の苦しみを、これ以上長引かせないで下さい。

 

 地裁の判決により、入管の行為は違法であり、入管職員の制圧行為そのものが、バリーを死に至らせたのだと認められたことに感謝しております。

亡くなってから、初めてバリーが人として認めてもらえたと感じました。

 

それだけに、国側の控訴には大変ショックを受けました。

二度と同じ誤ちを繰り返して欲しくないという強い思いを胸に、この4年間必死で生きてきた私にとって、国側の控訴はとても残念です。

バリーには命の尊厳さえ与えられないのかと思うと、とても悔しいです。

このままだと、また同じ事が起こるのではないかと、恐れています。

いったい何人の人間が死んだら、人の命の尊さを法務省は真剣に考えてくださるのでしょうか。

死亡時から一貫して、彼が一人の人間としてみてもらえていないことが悲しく、虚しさが込み上げてきます。

そして法務省の誠意のない対応に、私の苦しみは深まるばかりです。

 

暴れていないのに、入管職員にうつ伏せで身体を抱え上げられ、手足に手錠をされ、猿ぐつわをされたうえに、結束バンドで両手とズボンを留められ、更に前屈みに頭を抑え付けられながら、バリーは死にました。

死ぬ瞬間だけでなく、その前から危険な状態にさらされ、怖い思いをさせられていました。

そのような行為を人間が人間に対して行っていいのでしょうか。

死んでいく時、誰にも気付いてもらえず、どんなに痛くて苦しくて怖かったかかと思うと胸が張り裂そうです。

 

バリーがぐったりした後、入管職員はバリーの脈がないと分かっていたにも関わらず、死んだ演技をしていると決めつけ、救命を行わなかったばかりか、エジプト航空の職員に言われるまで動こうとしなかった事実に対して何の反省もないことが分かり、憤りを押さえられません。死んでもいいと考えていたとさえ感じます。バリーは荷物ではありません。入管職員である前に、人としての行動をとるべきだったのではないでしょうか。

 

 裁判がある度に、バリーを失ったことを思い知らされ、毎回心が抉られるような気持ちです。辛くて裁判はもう止めたいとこれまで何度も思いました。

それでも、バリーの最期を見とれなかったのだから、せめて真実を知る事が妻である私の務めだと言い聞かせ、その度に踏みとどまってきました。

 

20年間に亘って夫婦として一緒に暮らし、心のよりどころであったバリーを失った悲さに耐えながら、更にこれからも裁判を続けなければならない事は、二重の苦しみです。一緒にいられない寂しさだけでなく、これからも裁判が続く限り何年経っても裁判の度にバリーが死んだ日に引き戻され、最期の面会時のバリーの笑顔と共に誰とも判別できないくらいに朽ち果てたバリーの顔が甦ります。

愛するバリーが、どんな残酷な扱いを受け、どんなに怖い思いをさせられたのかを知って、胸が痛くて呼吸もできないほど苦しくなります。

かさぶたを剝がされたように封印していた心の傷がまたパックリと開き血が噴き出すように痛みだします。その痛みと苦しみに耐えることは、人の何倍もの努力をしても出来る事ではありません。どうかこの苦しみをわかっていただきたいと思います。

 

 先日、離婚して別々の国で暮らす夫婦が、再会し元夫の再プロポーズを受けて、一緒に暮らしだすというテレビ番組を見ました。

それは、お互いに生きているからこそ叶う事で、どんなにバリーに会いたくても愛があっても私には永遠に叶わない事だと思うと、改めて失ったものの大きさを思い知らされ、その日一晩中涙が止まりませんでした。

 

バリーは音楽を愛していました。そしてみんなに愛されていました。

 つい先日は、二人でよく訪れていたお店のオーナーが、バリーを偲んで催しを開いてくれました。

お店の壁に飾られたバリーが描いた絵を見ながら、オーナーは、バリーがいつも決まった座に座り熱心に音楽を聴いていた様子を話してくれました。

そしてバリーの好きな曲を今でも忘れないでいてくれていて、オーナー自らギターを弾きながらその歌を歌ってくれました。

 歌を聴いている間、もう座る事ができないお気に入りの席を眺めながら、以前、桜の木の下のベンチに座り、日本人の友達とライブをした時の話や、たわいもない話をして笑いながら過ごした幸せな時間を思い出していました。

 バリーが弾くギターの音色、バリーの声を二度と聞く事ができない事に胸が苦しくなり涙がこぼれました。

 

 こんな辛い思いをする人間を増やさないでください。そしてバリーの死が無駄にならないよう、二度と同じ誤ちが繰り返されないよう、裁判長様、どうか問題と考えられる点を的確に判断して下さるようお願いいたします。

 
 

2014年8月1日金曜日

スラジュさん国賠 控訴審第一回期日が終わりました

7月30日15時半より、控訴審第一回期日が行われました。
今回は、原告側より、奥様からの意見陳述及び代理人からの控訴理由説明があり、その後、被告側(国側)からも控訴理由説明がありました。

原告側の控訴理由は
①地裁判決ではスラジュさんへの制圧行為のうち、スラジュさんの口にタオルを巻きつけた上で、前かがみの姿勢を強制したことは違法としたが、それ以外の行為は違法ではないとした点
②スラジュさんが違法な制圧講師を誘発したとして5割の過失相殺をした点
③慰謝料等の算定方法がガーナ基準とされている点
があげられました。

被告側の控訴理由は
①あくまでもスラジュさんの死因はスラジュさんにもともとあった心臓疾患による致死性不整脈であり、地裁判決ではそれを否定した点
②入管職員の行為は、国賠法上違法ではない点
があげられました。

奥様からの意見陳述では、裁判を続けることの苦しみ、様々な場面で思い出す夫スラジュさんとの思い出・喪失感などが語られました。傍聴者の中には奥様のお話に涙してる方もいらっしゃいました。

次回第2回期日は、10月15日(水)10時半より東京高裁825法廷となりました。
一回の期日で終わることも多い控訴審ですが、スラジュさんのこの事件は毎回多くの傍聴者も駆けつけ、裁判所側も注目されている事件と認識し、ある程度の時間をかけ審議していくようです。
引き続き、傍聴への協力、どうぞよろしくお願いいたします!

(写真は高裁に入るスラジュ弁護団の様子)


*以下、法廷内で実際述べられた代理人意見内容です(スラジュ弁護団児玉晃一弁護士陳述)この陳述の後、傍聴席から拍手がありました。
スラジュさんの存在そのものが過失だったとでもいいたいのでしょうか?
一審判決は、入管職員の制圧行為とスラジュさんの死亡との因果関係を認めた点で、大変画期的な判決でした。
しかし、一方で、スラジュさんが強制送還の命令に従うべきで、従わなかったのが違法行為を誘発したなどとして、50%もの過失相殺をしました。
スラジュさんが20年以上も連れ添った妻と一緒にいたいと願い、送還を拒んだのが、なぜ、せめられなくてはならないのでしょうか?
在留特別許可をめぐる裁判の一審でも勝訴したように、スラジュさんは本来、在留特別許可が認められても全くおかしくない人でした。
裁判で負けても、同種タイプのケースで、再審情願という手続により在留特別許可が認められる人は、珍しくありません。そんなスラジュさんが、家族と一緒に暮らすために送還を拒むのは当たり前です。
この点を捉えて過失がある、50%も減額するというのは、明らかにおかしいです。
この他にも、私たちは
*内規に反して手錠を足にかけたり、内規では使用が認められていない結束バンド、タオルを使ったのは違法ではないとしたこと
*逸失利益を全てガーナ基準としたこと
*遺族慰謝料が日本人の5分の1程度とされたこと
について、おかしいと思っています。
これらが、私たちが控訴をした理由の概要です。
もう一点、国の控訴理由についてお話しします。
国は、控訴審になってから、5つも医師など専門家の意見書を新たに出してきました。また、数多くの医学文献を翻訳して出してきています。
これらに掛かった経費は、一審で認められた賠償額500万円を越えるのではないかと思います。
そうまでして、国は何を守りたいのでしょうか?
昨年10月に、品川の東京入管で一人の男性が死亡する事件が起きました。昨日私は法務省に証拠保全に行き、死亡前の様子が映っているビデオを見てきました。
そこでは、嘔吐をし痙攣をしていたはずの男性の部屋に職員が行っているのに何も対処せず、緩慢な動作をしている様子が残っていました。救急隊員がきたのは、異変が起きてから約1時間後でした。
今年の3月には、牛久の、入国管理局でイラン人、カメルーン人が連続してなくなるという事件も起きました。
人を人として尊重する、そんな当たり前のことができていないから、こんなことがおきるんです。
入管は、スラジュさんの事件を何一つ教訓として生かせていないのです。
スラジュさんの事件は、先だってジュネーブで行われた国連の規約人権委員会でも、虐待によって死を引き起こした事件として懸念を表明されました。
人を人として尊重する、そういう、当たり前のことに入国管理局当局を導くような判決を高等裁判所でもして下さることを、信じています。
終わります。