2014年8月4日月曜日

スラジュさん奥様の意見陳述

以下は、先日のスラジュさん事件国賠訴訟の控訴審第一回期日で、スラジュさんの奥様が裁判官、傍聴者の前で読み上げた意見陳述の内容です(奥様のご了解を得て掲載しております)。奥様のスラジュさんへの愛情・悲しみ・喪失感が痛いほど伝わる内容です。

*バリーとはスラジュさんの呼び名です



意見陳述書

平成26730

スラジュ妻

 

 私の夫を、バリーを、かえして下さい。

それができないのであれば、法務省は正式に謝罪してください。 

バリーにした危険な行為を反省して下さい。

 心の支えであった夫、バリーを失ってから、4年にも亘る私の苦しみを、これ以上長引かせないで下さい。

 

 地裁の判決により、入管の行為は違法であり、入管職員の制圧行為そのものが、バリーを死に至らせたのだと認められたことに感謝しております。

亡くなってから、初めてバリーが人として認めてもらえたと感じました。

 

それだけに、国側の控訴には大変ショックを受けました。

二度と同じ誤ちを繰り返して欲しくないという強い思いを胸に、この4年間必死で生きてきた私にとって、国側の控訴はとても残念です。

バリーには命の尊厳さえ与えられないのかと思うと、とても悔しいです。

このままだと、また同じ事が起こるのではないかと、恐れています。

いったい何人の人間が死んだら、人の命の尊さを法務省は真剣に考えてくださるのでしょうか。

死亡時から一貫して、彼が一人の人間としてみてもらえていないことが悲しく、虚しさが込み上げてきます。

そして法務省の誠意のない対応に、私の苦しみは深まるばかりです。

 

暴れていないのに、入管職員にうつ伏せで身体を抱え上げられ、手足に手錠をされ、猿ぐつわをされたうえに、結束バンドで両手とズボンを留められ、更に前屈みに頭を抑え付けられながら、バリーは死にました。

死ぬ瞬間だけでなく、その前から危険な状態にさらされ、怖い思いをさせられていました。

そのような行為を人間が人間に対して行っていいのでしょうか。

死んでいく時、誰にも気付いてもらえず、どんなに痛くて苦しくて怖かったかかと思うと胸が張り裂そうです。

 

バリーがぐったりした後、入管職員はバリーの脈がないと分かっていたにも関わらず、死んだ演技をしていると決めつけ、救命を行わなかったばかりか、エジプト航空の職員に言われるまで動こうとしなかった事実に対して何の反省もないことが分かり、憤りを押さえられません。死んでもいいと考えていたとさえ感じます。バリーは荷物ではありません。入管職員である前に、人としての行動をとるべきだったのではないでしょうか。

 

 裁判がある度に、バリーを失ったことを思い知らされ、毎回心が抉られるような気持ちです。辛くて裁判はもう止めたいとこれまで何度も思いました。

それでも、バリーの最期を見とれなかったのだから、せめて真実を知る事が妻である私の務めだと言い聞かせ、その度に踏みとどまってきました。

 

20年間に亘って夫婦として一緒に暮らし、心のよりどころであったバリーを失った悲さに耐えながら、更にこれからも裁判を続けなければならない事は、二重の苦しみです。一緒にいられない寂しさだけでなく、これからも裁判が続く限り何年経っても裁判の度にバリーが死んだ日に引き戻され、最期の面会時のバリーの笑顔と共に誰とも判別できないくらいに朽ち果てたバリーの顔が甦ります。

愛するバリーが、どんな残酷な扱いを受け、どんなに怖い思いをさせられたのかを知って、胸が痛くて呼吸もできないほど苦しくなります。

かさぶたを剝がされたように封印していた心の傷がまたパックリと開き血が噴き出すように痛みだします。その痛みと苦しみに耐えることは、人の何倍もの努力をしても出来る事ではありません。どうかこの苦しみをわかっていただきたいと思います。

 

 先日、離婚して別々の国で暮らす夫婦が、再会し元夫の再プロポーズを受けて、一緒に暮らしだすというテレビ番組を見ました。

それは、お互いに生きているからこそ叶う事で、どんなにバリーに会いたくても愛があっても私には永遠に叶わない事だと思うと、改めて失ったものの大きさを思い知らされ、その日一晩中涙が止まりませんでした。

 

バリーは音楽を愛していました。そしてみんなに愛されていました。

 つい先日は、二人でよく訪れていたお店のオーナーが、バリーを偲んで催しを開いてくれました。

お店の壁に飾られたバリーが描いた絵を見ながら、オーナーは、バリーがいつも決まった座に座り熱心に音楽を聴いていた様子を話してくれました。

そしてバリーの好きな曲を今でも忘れないでいてくれていて、オーナー自らギターを弾きながらその歌を歌ってくれました。

 歌を聴いている間、もう座る事ができないお気に入りの席を眺めながら、以前、桜の木の下のベンチに座り、日本人の友達とライブをした時の話や、たわいもない話をして笑いながら過ごした幸せな時間を思い出していました。

 バリーが弾くギターの音色、バリーの声を二度と聞く事ができない事に胸が苦しくなり涙がこぼれました。

 

 こんな辛い思いをする人間を増やさないでください。そしてバリーの死が無駄にならないよう、二度と同じ誤ちが繰り返されないよう、裁判長様、どうか問題と考えられる点を的確に判断して下さるようお願いいたします。