2014年2月12日水曜日

ウガンダ国籍のジャミラさん母子に在留資格が認められる!

在留資格を手にするジャミラさん
2014年2月12日、ウガンダ国籍のジャミラさん母子に在留特別許可が出ました。

ジャミラさんがAPFSの事務所を初めて訪れたのは、2010年8月のことでした。一緒に3年半、闘い抜き、一つの成果を手にすることができました。

ジャミラさんには、当時、日本人男性との間に
子どもが生まれたばかりの頃でした。
男性が子どもの認知や結婚の手続きもすることなく、行方をくらましてしまい、ジャミラさんは超過滞在の状態に追い込まれていました。

男性の行方を追いかけても、追いかけても、男性は見つかりませんでした。
ジャミラさんは、男性不在のまま生後認知を求める訴訟を
提起することを決意しました。
男性不在で、直接的な証拠はないという、
極めて不利な状況にありましたが、あきらめずに当時の状況を説明し、
共通の知人から証言をしてもらったりと、立証する努力を続けました。
訴訟の結果、子どもに生後認知が認められることとなりました。
あきらめないで努力をした結果でした。

生後認知が認められたことで、次に子どもの日本国籍取得を
目指すことになりました。
日本人スタッフも思わずため息が出るほどの膨大な書類を
全て日本語で準備をしなければなりません。

母国ウガンダからも書類を取り寄せなければなりませんが、
ウガンダでは、日本のように役所で簡単に書類が
取れる状況にはありません。
ウガンダ大使館に協力を求めたりと出来ることをしてきましたが、
法務局が求めるような書類をなかなか準備することが出来ず、
時間だけが経過していました。

ジャミラさんは同国人の仲間の助けも借りながら、
生活をしてきましたが、仲間も何年も支えることは難しく、
ジャミラさん母子の生活は限界にきていました。
不安定な生活状況の中、子どもは度々体調を崩します。
しかし、超過滞在のままでは健康保険にも加入できないため、
子どもを病院にも連れていくことも出来ません。
しまいには連絡を取ろうとしても、携帯電話も止まっており、
葉書で連絡をするような状況になっていました。

せっかく道半ばまで来ているにもかかわらず、
このままでは最後まで闘い抜くことが出来ない。
今後、日本国籍を間違いなく取得できるケースである。
生活を立て直すためにも、人道的な見地からも、
早急に在留資格が必要である旨をジャミラさんと共に訴えてきました。

その結果、3年半経った、今日、
在留資格という一つの結果をジャミラさん母子は手に入れました。
ジャミラさんは仕事をすることも、病院に行くことも
これから出来るようになります。

ジャミラさんは、APFSスタッフの「あきらめないで」の言葉に
何度も救われたと、その気持ちを語ってくれました。
APFSスタッフは、ジャミラさんの芯の強さに励まされる思いがしました。
子どもを思う気持ちから芯の強さが生まれるのだと感じました。
子どもは気がつけば4歳になりました。

生活の立て直し、日本国籍の取得とまだ課題は残されています。
しかし、ジャミラさん母子がここにおいて素晴らしい第一歩を
踏み出したことだけは間違いありません。
APFSはジャミラさんと最後まで共に歩み続けます。
今後とも皆さまの応援をよろしくお願いします。